方舟機関

方舟機関

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伊神(SC(S))

この部屋をねぐらにして、もう10年になる。音大進学を機に、東京に出てきた。閑静な住宅街の一角にある入居当初は真新しかったアパートの1階の1室。ようやっと仕事として、指揮ができるようになったのに、いまだ音楽家にはどうしたって不足なこの部屋に暮らしているのは――伊調のためだ。
伊調は、気まぐれにこの部屋を訪れる。気鋭の指揮者として名をあげた今でも、やはり、その奇癖(あるいは悪趣味)をやめない。それを許したのは俺で、もはや慣れてしまったことも事実だ。

きっかけは学生時代。
きっかけっていうには何でもないこと。コンクールの打ち上げで、しこたま酔った伊調を、しかたなく部屋に持って帰った。
結局ヤツが覚醒したのは、日付は変わって、夜も明けて、俺が朝飯の準備をしていた頃合いだった。
「おはよう」
そう言った口は機嫌よく笑んでいて、その手指はいつもどおり、手癖悪く踊っているのだった。厚顔甚だしい。けれども。その心もまたてらいなく軽やかに歌っていたものだから、つい、毒気が失せた。
上の階の住人の鳴らす忙しない足音、ベルの音とともにパンがトースターから跳ね上がり、窓の外からは小学生のはしゃぎ声、そして俺は「おはよう」と返しつつ、牛乳をコップに注ぎ、食卓に着き、遠くに電車が走る衝撃を感じながら、さっくり焼けたパンに甘くて美味しいチョコレートクリームを塗りたくる。
「いただきます」
トーストを齧りかじりしていると、その唇はついに旋律まで溢しはじめた。伊調は、俺の部屋に響く音、すべてをいたく気に入ったらしい。俺の言葉尻すらも含めて。
「食べてくか?」
「うん!」
ただ頷くだけが、やけに歌劇的な音色だった。

トーストを出してやって、食べ終えた伊調を駅まで送ってやった。
別れ際、



<!−−連載完結前に書いた未来捏造−−>

笠黄(krbs)

「父さん、今日は母さんとデート行くんだよね」
箸を置き、カレンダーに目をやりながら尋ねる。今日の日付には『運命の出会いから15年』の字。女子の目から見ても、ちょっと重たいくらいに、父は記念日を気にする。サラダ記念日じゃないけど、母と共有した何もかも、些末事でさえも、まるで大事のように扱えてしまう。ロマンチストなのだ。中でも出会いの日と付き合い始めた日と入籍した日は特別らしく、二人の時間を持つことにしている。
「ああ」
「そう」
肯定が返ってくるとわかっているのに聞いたのは、確認のため。両親の不在の予定を確認したら、口元がにやけた。背中を向けているのにそのことを見止めたようで、父は素気なく言った。
「笠松のところには行くなよ」
こんなとき、父の声はいつだって――まるで悲鳴を上げているみたいに――鋭い。それを聞くと浮ついた気持ちも沈んでしまう。
「ごちそうさま」
物分かりのいい返事もしたくなくて、それ以上何か言われる前に私室に逃げた。言い訳がましく思う。
(笠松さんじゃなくて、黄瀬くんの家だもの)

一日を終えて、学校から歩いて5分の場所にある喫茶店で彼を待つ。窓の外に大きなバイクが停まったのを見て、私は会計を済ました。
店を出るなり差し出されたヘルメットを被って、その背中にへばりつく。
昔はスポーツマンだったって言うけれど、薄っぺらな体ではとても信じられない。触れている感触の歪さに、不安になる。しっかりと抱き止めておかないといなくなってしまうんじゃないかって。私よりもずっと長く付き合ってきた父なら、なおさらにそう思って、だからこそ、私が黄瀬くんと会うのを止めないんだろう。

黄瀬くんは、父と笠松さんの、高校時代のバスケ部の後輩だ。とにかく才能に恵まれた選手で、悔しくもあったけれど、いつしか、同じコートに仲間として立てることが誇りになっていた。笠松さんを追って同じ大学に入ったから、大学でも、結局後輩になった。その頃を懐かしむ父の声は甘く、笠松さんの名前を呼ぶときばかり、苦い。

笠松と書かれた表札のかかった扉に、黄瀬くんは勢いよく飛び込んだ。それは当然のことで、黄瀬くんは大学入学以来、もう10年以上この部屋に住んでいる。この人と一緒に。
「ただいま!幸男さん!」
声を弾ませて部屋の奥に突っ込んでいく黄瀬くんには、いかにも愛おしげに苦笑して、打って変わって、黄瀬くんが脱ぎ捨てた靴を揃える私には一瞥をくれる。
「……こんにちは」
ぺこりと頭を下げると、彼は口を引き結んだまま、一回だけ頷いた。
つっけんどんな態度だけれど、



笠松さんは、父に曰く『高校以来の大親友』だそうだ。バスケ部で三年間一緒に汗を流し涙を堪え、学部は違えど同じ大学に通い、青春を共にした、母とは別の特別で大事な人。
そうは言いつつも、父は笠松さんと仲違いしている。10年以上前に、大喧嘩をして、それ以来ずっと顔を合わせていないんだって。いい大人が大人気ない。でも、男にはどうしても譲れないときがある、らしい。あんな、身も心も冷えきったような顔をしてまで、どうして片意地を張るんだろう。



<!−−連載完結前に書いた未来捏造。森山×モブの娘視点。死んでる笠松さんと同棲してる黄瀬くんのはなし−−>

黒火(krbs)

(日本人だと聞いていましたが)
目の前の相手を見つめる。
(ボクも人のことは言えないですけど、)生粋の日本人には珍しい赤錆めいた褐色の髪は、それだけで人目を引く。しかもそれが座してなお、人より頭一つ分は高いところにあるのだから、なお更に。長身に見劣りしない体格は、無造作に着崩した洋装が似合い、ますます日本人離れして見えるのだった。明らかに身の丈に合っていない卓と腰掛けに、律儀に、窮屈そうに収まっている姿は、ちょっと可笑しい。歳相応の可愛げと受け止めるべきかもしれない。萎縮している風でもないから育ちのよさとも思われる。
それにしても、こんなにも堂々と対面に座っている相手に気付かないというのは、慣れたこととはいえいつだって不可思議だ。すぅと息を吸い、心持ち大きめに声を出す。
「こんにちは」
「うわっ?!」
がたんと音を立て飛び上がり後ずさる、大袈裟な反応を見るのは随分と久しぶりだ。その様子に一瞥をくれてから、通りがかった給仕の裾を引き、注文を取り付ける。給仕にもまた驚いた顔をされるのだが、これもまた慣れたことだとすまし顔で済ませた。再び目の前の青少年に視線を戻せば、こちらを見つめては目を白黒させている。
「君は、何を飲みますか」



「火神大我くんですね」
「おう。あ、はい。っす」
状況をわからないながらに質問には急ぎ答える。やはりよく躾けられた子だという印象を受ける。だからこそ、本当に敬語ができないのだともわかった。
「黒子です。よろしくお願いします」



先日。
「黒子くん。前に、洋書を読むのに難儀するって言ってたわよね」
リコがふと思い付いた風に言った。のんべんだらりと互いの近況を報告し合っていた。話題は丁度、気に入りの小説のことで、会話としての筋は通っていた。通ってはいたが。輝く目と綻んだ口元はかつて見慣れたもので、ああ、何か目論見があるのだとわかり。
「ええ、まあ」
常の五倍はくたびれた顔をしたつもりだったのだが、全く伝わらなかったか、伝わったとて黙殺されたのか、弾む声がこう続けたのだった。
「書生を迎える気はない?」
「それはどういう?」
「伊月くんの研究室の先生のご友人――長らく欧米にいらしたそうで、つい先日帰国されたんですって――がご子息の教師を探しているらしいの」



黒子先生は教えるのがあまりうまくない、と、火神は思っている。
しかし、当の黒子は「ボクは君を、一人前の紳士にしてみせます」と意気込んでいる。そう言ったときの黒子は、常ならば瞳の凪いだ湖面に沈んで見えない感情を、見せていた。元より瞳がこぼれ落ちそうな、目を瞠って、黒目を引き絞った、ことが、やけに悲愴っぽく見えたから。
この人を支えてやりたいと思ったのだ。



「黒子せんせー、飯だぞ……です」
「火神くん」
睨め付けられた。理不尽だ。やはり、黒子が何を考えているのか、よくわからない。日本語のレッスン以外は丁寧な言葉遣いをしなくてもいいと言う。レッスン中にも、先生と呼ばれることを嫌がる。
けれども。火神の舌は先生という響きをいたく気に入ってしまったから、物分かりよく順うのが難しい。
今まで先生と呼べる人はいなかった。



「――火神くんは、」
本当に読書が好きなんですね。
あ、笑った。そう思った。いつもどおり、眉も口角も平らかに固まった鉄面皮と死んだ魚のような虚ろいだ眼差し――少なくとも火神にはそう見える――だのに、今、とても優しい顔をしているのだとわかって。
感心です、と続いた声は思いなしか甘くて。
何故だろうか。頬が熱い。



<!−−明治パロ。文学同人結社誠凛、作家先生黒子、書生火神−−>

十ヨハ(GX)

耳に障る電子音。それを聞くのは久しぶりな気もした。
サブディスプレイを見れば、案の定、オブライエンからの着信だ。
通話ボタンを押した十代が名乗るよりも先ず「十代か。オブライエンだ」と言う。
その慌ただしさに、事態が切迫していることを察し、口角を持ち上げた。
尤も、笑い飛ばすことはできなかったが。
「信じがたいことだが、」
ヨハンが自殺した!
正確を期すれば、「自殺を図ったが、未遂に終わった」。
「は?」
愕然に目を瞠る。問い返す。オブライエンが繰り返す。
今どきニュースにもならないありふれた事件だ。十代にとっても、対岸の火事のようなものだった。そして、
「ヨハンって、ヨハン・アンデルセン? あのヨハンが?」
当事者にも。思い出すのは、明朗の過ぎた笑みと快活の過ぎた物言いだ。
「……そうだ」
沈黙を選べないのが、オブライエンの欠点ではあるが、美点でもある。優しすぎるのだ。
「一命は取り留めたそうだ。不幸中の幸いだった」
何が幸いだ!
電話口に叫ぼうとして、止めた。オブライエンが怒鳴られる理由はないし、それよりも、十代が怒る理由もないことに気付いたからだ。
ヨハンの身に何が起こったとしても、十代には事もなく、心を痛めているふりをする方が馬鹿らしい。
何よりも、十代にはヨハンを唾棄するべき理由があった。
「そいつはよかった。で? 他に用件がないなら切るぞ、オブライエン」
息を呑む音が聞こえた。
「十代は……。ヨハンが心配じゃないのか?」
沈黙を選べないのは、オブライエンの美点ではあるが、欠点でもある。優しすぎるのだ。
「ああ」
「すまない、それだけだ。無茶はするなよ」
「わかってる。んじゃ、またな」
その心中を慮ってやれば、苦笑が漏れる。通話を切り、背後の気配に語りかけた。
「何が言いたかったんだと思う?」
「決まってる、」
十代の顎に触れ、顔を擡げさせ、瞳を覗き込み、言う。
「オブライエンはヨハンを心配しているんだよ。キミのこともね」
差し出された答えはとても咀嚼できそうにない。そもそも、十代の実感とは齟齬がある。
けれども、舌触りだけはよかったものだから、戯れに弄してみたくなった。
「ユベルも?」
十代の意地悪な問いにも、首肯してみせる、その有り様の何と健気なことか。
愛しさを覚え、目を細めた十代には、自覚がなかった。
「十代、ヨハンのところへ行こう」
「ユベルは優しいな。アイツなんかの心配ができるとか」
ユベルを口で褒めそやしながらも、ヨハンを鼻で笑う。
ユベルは泣きたくなった。
「優しいものか。悪魔が優しいというのなら、アイツは天使か何かだね。こう言ったんだ」
だって嬉しくないのだ。どうして十代の愛を喜べないのか。
「『十代を好きな誰かが傷付くのは見たくな「その話はやめろ!」
怒鳴られるのも、怒らせるのも、些ともユベルの望むところではない。それでも、
「『それでも好きだと思う気持ちは止められないから』!」
――『なら、みんなが幸せになれるように』。
きっとこれも我意なのだろう。



<!−−「最後の楽園 -Gods are in their heaven.-」の続きとして書いていたもの。続きません−−>

鬼柳+盗賊王(5D's+原作)

光の差さない真っ暗闇。奈落へ続く急傾斜の階段。はじめの一歩は死。後は転げ落ちる要領で、勇む足が縺れ、勢いその身を打ちつけても、怨念は留まることを知らない。
もうどれほど降ったかわからない。端から数えてもいなければ。この階段を降りるのは、生きるため。生きて、報いるのだ。仲間を捨て友を殺した裏切り者共に。そのためならば、なりふりを構わない。悪魔とだって契ろう。冥府にだって堕ちよう。もうはやそれしか、残っておらんのだ、鬼柳が自らの生の価値を残す手段は。
もうどれほど降ったかわからない。それを知る必要もない。自らの神の御座す深みまで、歩みを止めるつもりはないのだから。
「オイ」
なかったのだ。
「オイ、兄ちゃん」
「……」
幻聴だと思った。乱暴で下卑た呼び声は、かつて幾度と投げよこされたセキュリティのそれを思い出させ、胸くそが悪くなる。
「無視すんなよ、淋しいんだよ」
踊り場を踊るはずが、くん、と足首を捕まれ、慣性に従い、上半身が顔面から壁に体当たりする。
「……っ?」
そうしてようやっと、
「やあっと気付いてくれたな、ニイチャン」
何者かに話し掛けられていたことを知る。この地獄道に居座る者があったことよりも。
「……っ…………!?」
咄嗟に声が出ないことに。漏れ出た声が言葉にならないことに。
「んなに驚くことかね」
「……」
「だあって、ずうっと無言でおったんだろ? そりゃあなあ、口を利かなきゃ喋り方なんか忘れちまうよ」
にやり、裂けた口が見えた。
「呪咀でも吐いてりゃよかったのに。ここにいるってのはそういうこった」
見透かされている。癇癪よりも、自嘲が先にきた。さぞ、
「情けない顔」
をしているのだろう。自覚はあった。
「見栄を張るなよ。楽になれるぜ。憎しみを糧に生きればいいのさ。まっすぐ下を目指せばいい」
「……」
なら、その手を外せ。相変わらず声にもならない、遺志を込めては闇を睨み付ける。俺は逝くのだと。



<!−−クロスオーバー−−>

ミロ+ヘラクレス(SEIYA+APH)

<!−−クロスオーバー−−>



『鉄の時代の子供達』

その人からはいつも大地の匂いがした。

聖闘士としての務めに、意義だって誇りだって見出しているし、生活の指針は常に女神にある。
しかし、ミロが平時過ごすのは自らが守護すべき天蠍宮ではない。それはアテネ市内だったり、オリンピア史跡だったり、時には修行地・ミロス島に出戻ることもある。
ミロはアテネの大学で歴史学を学ぶ学生である。
国家機関や研究機関とも提携しているとか言う講座は、フィールドワークを中心にしていて、実際に遺跡の発掘に携わることが出来る。ともすれば歴史を塗り替える瞬間に直面できるのだ。
それはミロにとって大きな喜びである。
こう言うのもなんだが、ミロはよくあるギリシャ人らしいギリシャ人……ここではヘレネスと言った方がいいか、ギリシャのかつての(何千年も前の!)栄光と(いい加減に黴臭くなってきた)大いなる歴史を至上の文化だと思い込んでいる、懐古主義的愛国心溢れる若者だ。
遺物の一つ一つからでも神話時代の叡智が見て取れるというもの。このギリシアに神々の住まっていたことを確信させてくれる。
幸い肉体労働は得意だし(何せ天下の黄金聖闘士だ)、細かな作業だって苦手じゃない。こうして土を穿り返すのだって悪くない。頬は緩みっぱなしだ。汗を拭ったその瞬間気付く。日向の香りが鼻をくすぐった。
「ミロ……」
背後から声をかけられる。
彼はいつも、静かにゆっくりとしゃべる、なのに朗々としているから不思議だ。彼の声がこの名前を呼ぶのが、神への祈言にすら聞こえて頭を振る。
カミュなんかにバレたら「背中をとられるなど聖闘士失格」とでも言われそうなものだが、仕方ないと思う。だって、彼はいつでもそこにいるように感じられて、なのにいなくて、かと思えばいつの間にやら現れるのだ。その香りだけを連れて。
思いっきり口角を持ち上げ、首を上に反らす。
「久しぶり、ヘラクレス」
「ん」
彼の名前はヘラクレスという。素性は知らない。一応は関係者以外立ち入り禁止になっているのはずの現場に堂々と入り込めるのは、何やら彼が発掘チームのスポンサーだから、らしい。
暇さえあれば「手伝いに来た」とボンヤリした様子でやって来て、そのときの格好がTシャツやらスーツやら、しまいには軍服だったりして、彼の正体はますます不明になる。
「工程は順調か?」
ミロが左に避けて開けた脇に座る。膝を抱えて地面を見つめる姿が妙に似合うのだ。
「教授に聞いてくれ。まぁ、後1週間はここで過ごすことになりそうだけど」
「楽しそうだな」
わざと辟易とした顔をしても、ふわり、と包まれておしまいだ。
「……ああ。やはり凄いよ、この国は、」
先人の叡智に満ち溢れている。
「そう言ってもらえると、嬉しい」
「何でお前が喜ぶ」
「何でも。」
一見無表情なようにも見える厚顔も、よくよく見れば薄く微笑んでいる。アルカイックスマイルとでも言うのだろうか、ミロはヘラクレスのこの笑顔に弱い。

この人からはいつも大地の匂いがする。実り豊かな大地の匂いが。
目を細める、それが何を見ているのかミロには知り及ばない。
ただ、この人を前にしていると、自分がとてもちっぽけな存在のように思えてくるのだ。そして、隣のヘラクレスがとても遠い存在のようにも。

何となく気恥ずかしくなって、鼻の頭を掻いて。立ち上がる。
「手伝え、少し難しい箇所があるんだ」
「知ってる……そのつもりで来た」
遺跡(となる予定の発掘現場)の中心部に向かう途で、学生や作業員、皆がヘラクレスに「よぉ」「ひさしぶりだな」と声をかけ、ヘラクレスも小さく頷き返す。
当然のようにmy鑿を取り出すヘラクレスを咎める者は誰一人としていない。手伝う、と言う言葉に違わず、ヘラクレスの手並みは手早く、思慮深く、そして誰よりも熟練している。最近やっと調子を掴めてきたミロに比べれば雲泥の差だ。
そのながらで、まるでその目で見てきたかのように生き生きとしたギリシアの歴史を語ってくれるのだ。中には歴史書なんかにも載っていないような庶民の風俗まであって、彼の知識の深さは無限にも思われる。
そういえば、神統記、イリアス・オデュッセイアを虚で唱え始めたときには驚かされた。無論、アテナに仕える聖闘士の基礎教養として内容自体は頭に入っているが、一字一句違えず謳うなんてミロにはできない。
ミロは、ヘラクレスの鮮やかな手並みに関心もするし、語り口に魅了される。
しかし。
しかし、よくよく見ていると、分かる。
手が勝手に動いて、口が勝手に動いているだけなのだ。綺麗に土を砕くその意識はここには無い様に見受けられる。
その証拠に、彼はこちらが話しかけても返事は胡乱で、強すぎる日差しにも昼食を摂っていないことにも頓着しない。頬に冷えたペッドボトルを当てるまで、夢中といった様子で手を止めない。
「っ……どうした?」
めったに見れない驚いた表情に、してやったりと笑って、それから怒った顔を作る。
「いい加減に休憩しろ。熱中症で倒れるぞ」
「そうか?」
デカイ図体に似合わない小首を傾げるという可愛らしい所作が、言外に「まだ続けたい」と零す。 嘆息して、ヘラクレスの頭にヘルメットを被せてやって、その手をとる。がっしりとした身体を引き上げるのも、ミロには容易い。

「にゃあ」、
猫が一匹、葉が青く茂る月桂樹の木の下を陣取っていた。
「……猫」
「だな」
下がった瞼が持ち上がり、ミロの手を振り払ってゆるゆると駈けていく。ヘラクレスは、猫が好きだ。不思議なことに、猫もヘラクレスを好くらしく、ヘラクレスがぼーっと飯を食べているだけで、数匹新たに集まってくる。
転がる小枝を拾って地面に書き書き、ゼノンのパラドクスを野良猫共に説明する姿はいつになく熱心で、滑稽だ。
それを横目で見ながらギロピタを齧る。こういうときは目を輝かせて活き活きしているのに。何故細心の注意を払うべき作業ではぼんやりとしているのだろう。
ザジキのスパイスが効きすぎていて、噎せてしまった。通り掛かった店で買ったのだが、もう二度と立ち寄らないことを心に決めた。

この人からはいつも大地の匂いがする。実り豊かな恵みの大地、ギリシアの土の香りが。
男の姿をしてはいるが、或いは豊穣の女神とはこんな姿をしているのかもしれない、とぼんやり思う。
日向と情交の匂いがする。それがミロのヘラクレスへの第一印象であり、それが覆されたことは未だ無い。

群がっていた猫共も、いつの間にやら退散したらしく、今は咽喉を鳴らして水を飲んでいた。飲み溢した水が口元から顎へと伝う。彼の行為全ては情事の後のような甘ったるい倦怠感を伴う。
「ヘラクレスは、何で考古学を勉強しようと思ったんだ?」
視線を僅かにこちらに寄越し、眉を顰める。それは顔を顰める動作と言うよりも、痛みに耐える表情に似ていた。飲み口を離し、口元を拭う。ヘラクレスの首を伝う汗はきっと、暑さの所為じゃない。
「はは、が。」
「お母さん?」
「……そう、母」
小さく頷いて、目を閉じる。
「母との思い出は、もう、ここにしか見当たらないから」
地面を見ているのか、大空を見ているのか、否、過去を見ているのだと、漸く合点が行った。
「それを思い出したくて、まだここにいるんだ……と、思う」
「ヘラクレスのお母さんも考古学者だったのか?」
「……そんなようなものだ」
「だからあんなにギリシア史に詳しい訳だ。じゃ、ヘシオドスとかホメロスとかを歌うのも?」
「あれは母がいつも寝物語に聞かせてくれたんだ」
何て情操教育に悪いんだ(確かにヘレネスにとっては最上の教育かもしれないが、)とミロは呆け、少しだけ、親の顔が見てみたい、と思ってしまった。彼の言い方からするともう叶わないのだろうが。

「母を忘れようとしている薄情な自分が怖いだけなのかもしれない、」

「我が……母なるギリシアを」
その呟きを、ミロは聞き取れなかった。ふるり、小さく首を振り、ヘラクレスはいかにも重そうに腰を上げた。
隣の木陰には、やはりどうしようもないほど日向の―彼の―香りが残っていて、先を行ったはずが消えてしまった、彼を追うこともできなかった。

その人からはいつも、ギリシアの匂いがした。
その人がギリシャそのものだと知るのは、もう少し後のこと。

デスマスク+ロヴィーノ(SEIYA+APH)

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「デスマスク、これは黄金聖闘士の誇りはおろか聖域の威信がかかった重大な任務です。必ず成功させてくださいね?」
「アテナの名に傷を付けることは許されん、けして先方に粗相の無いように」
にっこりと人を食った笑みと、相変わらず胡散臭い仮面に見送られ、遠路遥々(と言っても対岸だが)欧州は永遠の都ローマにやってきたはずなのだが。

少しばかり視線を落とさなければならないのはデスマスクより頭半分低い身長の所為だ。長い前髪で見えにくいが、形のいい眉は顰められ、輝かしいシトロンの瞳に宿る眼光も鋭い。への字に攣き結ばれた上品な口許すら、仏頂面に美しさを装飾するのだが、『天と地のはざ間に輝きを誇る美の戦士』を毎日のように拝んでいる身としては惚れ惚れするよりも辟易してしまう。
あからさまに人と会話する気のない然とした小綺麗な男が、今回の依頼主、だと聞く。23歳のデスマスクと比べても、まだ幼い顔立ちながら、彼が政府高官・王侯貴族以上の超VIPということは聖域へのコネクションを持っていたことで既に証明されている。
今回の仕事は、護衛。まぁそれ以外に聖闘士にできる対外的な仕事なんてないのだが。因みにここはダ・ヴィンチ空港のフロントである。パスポートはいらないんだから、どうやら海外ではないらしい。デスマスクにしてみればそんな場所ならテレポートで一発飛んだ方が速いのだが、旅に闇雲に時間をかけるのは嫌いではない。
「おい、」
初めて、声を聞いた気がする。立ち止まって、半歩後ろにいるはずの声の主に振り向けば、突き付けられる紙切れ。
「行き先も知らねぇ癖にどこ向かおうとしてんだよ」
「国内だろ?とりあえずAターミナルに行きゃ問題ねーだろうよ」
見れば、チケットである。舌打ちは聞かなかったことにして、押し付けられたそれを摘み、言われた通りに行き先を確認してみれば、ひゅぅ。思わず口笛を吹く。
なるほど、数ある聖闘士の中からデスマスクが選ばれたはずである。
「おいおい兄チャン、マフィアに手を出すつもりか?」
「察しがいいな」
「そりゃシチリアに危険なんざ、奴ら以外いねーだろうよ」
いつの間にやら立ち位置は逆転していて、依頼主が先導するように前を歩いているのだった。どうにも、旅慣れているらしく、電光掲示板にも目も暮れず、下を向きながらも、歩みに迷いは無いように見受けられる。

×××××航空ローマ-パレルモ便、せつないことにエコノミークラスである。隣に座るのが小洒落たミラノ娘でなく横柄なローマ男なのが、尚更涙を誘う。
そこまで来て漸く、依頼主の名前も知らないことに気付いた。声をかけるにも「依頼主」では明らかに不審だし、響きも語呂も悪い。呼ぶだけで舌も甘くなるような愛らしい名前を野郎に期待出来ようもないが、この際我慢しようではないか。
「アンタ、名前は」
「ロヴィーノ・ヴァルガス」
「存外普通だな」
もっと偉そうなのかと思ってたぜ。からかうような口調になるのは習性だった、デスマスクにとっての人とのコミュニケーションは相手を嘲弄することから始まる。
それに対して一瞥したのみで、
「手前程じゃない」
とは。

氷ザク(SEIYA)

アイザックは、とても真面目な人だ。俺だって聖闘士としての使命になら真面目にもなるが、そうじゃなくて、人として真面目なのだ。俺が母恋しさに泣いていた年頃に、すでに地上の愛と平和を守る使命に目覚めていたというのだから。
アイザックは、とても綺麗な人だ。人々は目を背け、俺を見ては美しいと褒めそやすが、そんなことはない。人相が悪いと言われるのは、いつも思いつめたような表情をしているからだろう。それに、その端正な顔に陰を差す左眼の傷は俺を救ったために出来たものと知っていれば、心苦しさを覚えこそすれ、醜いなどと思えはしない。
アイザックは、とても優しい人だ。人に優しく己に厳しく、俺にも厳しい。それは優しさなのだ。
アイザックは、とても強い人だ。

兄弟子は、生真面目で融通が利かなく、綺麗な顔を顰めてばかりいたし、師カミュの代わりとでもいうようにその言葉は厳しかったが、ライバルである俺を蹴落とすものではなかった。
俺は、そんなアイザックが好きだった。ずっと大好きだった。
俺に聖闘士としての心構えを教授したのはカミュよりもアイザックだったとすら言える。言葉少なに、命を懸けて、救うべきを救う。アイザックの姿は最高にクールだった。
でも、何も、俺で実践してみせなくてもよかった。

再会は水底の神域、地上を滅ぼさんとする海皇に与する海将軍として、アイザックはいた。俺たちは敵として相見えた。
その時、俺が胸に抱いたのは喜びだった。生きていてくれた! 思うことはそれに尽きた。
まさか、アイザックの正義が変わっただなんて信じられるわけもない。枉げられるようなものが正義であるはずもない。いいや、だからこそ、今一度選んだ正義を貫くのだろうと理解してしまった。
殺し合うしかない、と。
俺のせいで落としかけた命を、海闘士としての宿命が拾った。それを、やはり俺が捨てる。
どうあっても、俺がアイザックを殺す、という運命は変えられないらしかった。皮肉だなんて言うつもりはない。
師を殺した拳で、また一人友を殺した。
やはり、アイザックは、優しくて強い人だった。
己の正義も俺の正義も枉げることなく、俺にクールたれと教えて、その命を使い果たした。カミュの言葉をまたも体現せしめたのだ。

今は少し気が抜けている。

白鳥座の聖闘士は俺に決まってしまっているし、アイザックはクラーケンの海闘士だが、当の海皇ポセイドンは眠りに就き、今のところお呼びでないという。



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